2018年08月11日

ヴィオラ弾きとしてめざすもの

今日から夏休みにはいりました。
来週にかけて車で動ける日があることを伝えてあったため、入院されている先生の奥さまからお電話があり、食料を調達してから病院へいってきました。
先生は二日まえにおおきな手術を受けられましたが、入院後しばらく感染症で苦しまれていたときよりはお顔の色もよく、たくさんお話ししていただいてすこし安心しました。
来週月曜日からは、もうリハビリもはじまるようです。
弦楽四重奏の演奏について、やはり先生はヴィオラに深い思いいれがあって、いろいろお話をうかがうことができました。
「やはりヴィオラという楽器は、聞いているひとがほっとするような、心がやすらぐような音を出さないといけない。」
今日先生がおっしゃるのを聞いて、そうだよなあ、カルテットでヴィオラを弾く以上はそういう存在でありたいなあ、という思いをあらたにしました。
もちろん、きちんと弾けるようになることは、とても大切です。
音程もタイミングも、ヴィオラだからといって、ヴァイオリンよりわるくていいわけではありません。
それでもヴィオラにはやはり独特の音色があり、それを聞いているひとの心に届けることなく、カルテットでヴィオラを弾く意味はないとも思います。
先生ごじしんがまさにそういうヴィオラ弾きで、ぼくはほんとうにそういうヴィオラが弾けるようになりたくて、ヴィオラという楽器を手にとったのでした。
先生といろいろお話をするなかで、ひさしぶりに初心を思い出しました。
まあいつもその気持ちでやらないといけないのですが、オーケストラなんかでむずかしい曲を必死に弾いていると、ついついべつのことを考えていることもよくあります。
カルテットというのは、そういう気持ちを表現しやすい場です。
あらためて、原点にたちもどって、がんばっていこうと思えた一日でした。


posted by hatakazu at 22:28| Comment(0) | 音楽とか | 更新情報をチェックする
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