2018年03月11日

東日本大震災から七年

2011年3月11日から七年がたちました。
そのころhatanakaは、東京転勤にともなって仙台をはなれ、千葉県松戸市に住んでいました。
妻もおなじ時期に転勤になったため、住んでいた仙台の借家は引き払いましたが、妻は2010年年末には仙台勤務にもどっていました。
そんなこんなで、東日本大震災のときは妻は仙台に、そしてhatakazuは松戸にいる状態でした。
地震があった時間は、hatakazuは東京オフィスの会議室にいて、お客さんと打ち合わせをしているところでした。
揺れの感じから、遠くで大きな地震がおこったようだ、ということはすぐにわかりました。
会議室でテレビをつけてみていると、東北地方で大地震とのこと、そして沿岸部でコンテナが津波にさらわれるようすが流れはじめました。
会社からはすぐに帰宅するよう指示が出て、hatakazuは柏市に住む同僚といっしょに社用車で六号線を走り出しました。
しかし、当然ながら幹線は大渋滞で、まったくすすみません。
松戸市の自宅につくまでにおよそ八時間、同僚は柏市の自宅につくまでにさらに二時間かかったそうです。
そのあいだも、妻の携帯電話に連絡していましたが、つながる気配はありません。
翌日朝になってもまったくつながりませんでした。
おそらくは無事でいて、ただ電話がつながらないだけだということは、頭のなかではわかっていました。
しかし、そうはいっても無事を確認しないことには、いてもたってもいられません。
そういうわけで、翌土曜日のお昼から、車で仙台へむかうことにしました。
高速道路は閉鎖されているので、下道を走っていくしかありません。
四号線を北上している途中で、福島の原子力発電所の事故のもようがラジオで流れはじめました。
そのため、進路を左にとって山を越え、山形県のほうからまわって仙台へはいることにしました。
途中で二時間ほど仮眠をとって、なんとか仙台の妻の家についたときには、松戸市を出てからちょうど丸一日たっていました。
妻は無事で家にいて、停電がつづくなかで携帯電話の電池を節約するため、つながるはずのない地震直後からずっと電源をおとしていました。
なんというか、まあ、冷静な判断です。
hatakazuなら、どうせつながらないとわかっていても、あちこちに連絡をとろうとこころみていたでしょう。
そして貴重な電力を浪費して、それでもだれとも連絡がつかなくて、途方にくれていたことでしょう。
そんな妻が、hatakazuが丸一日かけて東京から到着したときに口にしたのは、「おそかったねえ」というひとことでした。
脱力・・・。
あれから七年がたちましたが、被害のひどかった沿岸部、そして福島原子力発電所の周辺では、まだまだたいへんな生活をつづけているひとがたくさんいます。
かんたんに被害を総括することはできないし、楽観的に復興を語ることもできません。
ただただ七年まえのあの日の、そしてそれ以降のできごとに黙して思いをいたし、今後の事態の好転を祈るのみです。
posted by hatakazu at 11:45| Comment(0) | しょもない日常 | 更新情報をチェックする